株式会社ボトムライン

能力の特性
私の能力
私自身について
私の生い立ち

私の能力については今、説明したとおりです。それを“霊視”と言うのか“千里眼”と呼ぶのか、あるいは“リモートビューイング”が良いのか、正確な名前は自分でもよく分かりません。いずれにせよ、私は自分が強く意識した人や場所について、時間を過去や未来へ進めながら、その状況を映像として頭の中に映し出すことができるのです。
よく、未来を見通すことができるというと、それなら株や馬券で大儲けができるのではないかと短絡的に考える人がいます。正直な話、私も煩悩から解脱した修行僧ではありません。ごく普通の社会生活を送る、ありふれた一人の人間です。したがって皆さんと同じように、さまざまな欲望を理性で抑えながら暮らしています。お金だって欲しくないと言えば嘘になります。しかし、不思議なもので、自分の欲望のためだけにこの能力を使おうとしても、うまくいかないのが現実なのです。

以前、意識的に頭の中に映像を映し出すことができるようになったころ、恥ずかしながら、株や馬券で儲けることができるのかどうか、実験したことがあります。競馬場にたたずんでいる自分の姿を強く意識して、その日のレースが終わるまでずっと、頭の中の映写機を回し続けようと試みたのです。しかし、何度チャレンジしてもこの試みはうまくいきませんでした。
また、大人になってから、好きな女の子と仲良くなるために、私たちの将来を覗いてみようと試したこともあります。子供の頃は大好きな女の子の映像を何度も見ることができたからです。ところがこの試みも失敗しました。運良く彼女の顔が頭に浮かんでも、映像がまったく先へ進まないのです。友達付き合いをしていたときには自然に映像が流れていた女性も、私が彼女を意識したとたん、映像はピタッと止まってしまうのです。そのことをある著名な霊能力者に話したところ、彼も全く同じだと言っていました。
私の感覚からすると、イメージを心の底へ深く落とし込む段階で、強すぎる欲望は気持ちの集中を阻害します。私が行っている作業は、たとえて言えば、直径1センチの試験管に、1メートル上から糸をたらして中に入れるようなものです。気持ちを集中して糸をたらせば、それは容易に試験管の底まで入り込みます。ところが何かに焦っていたり、気がかりなことがあったり、ましてや部屋の中に風が吹いていたらどうでしょうか。おそらく何度チャレンジしても、糸の先は試験管の入り口をとらえません。この焦る気持ちや部屋の中に吹く風が、自分自身の欲望なのです。もっとも今では、このような能力は自分の欲望などという卑近な目的ではなく、広く多くの人たちに役立つように活用するべきものと痛感しています。

今、述べたようなエピソードは他にも数多くあります。私は人物やその場の状況を深く心に刻み込むことで、イメージの世界を映像として意識に投影しています。そして、心に映し出された映像の時間を前や後ろに進めることで、その世界で起こる過去や未来を覗いているのです。
また、子供の頃は自分の意思に関係なく、突然頭の中に浮かんでは消えていた映像が、訓練や試行錯誤を繰り返すうちに、意識的にコントロールできるようになりました。知りたいと思う世界のイメージを心の中に深く落とし込む方法。また、心の中に浮かんだ静止画を動画に変えて過去や未来へ進めるコツが分かってきたのです。
それとともに、私が社会の中でどのように人と接していくべきかも学びました。子供の頃、そして学生時代は、せっかく与えられた自分の能力を完全に持て余していました。私は自分の持つ特別な能力のおかげで、かえって円滑な人間関係を作ることができなかったのです。


たとえば友人から「彼女ができた、結婚しようと思う」弾んだ声でそう告げられ、彼の家に遊びに行ったことがあります。その時、彼らは既に同棲状態で、友人の彼女は訪問した私に手料理をご馳走して暖かく迎えてくれました。2人はとても仲むつまじく、美しくて気立ての良い彼女は、友人にとっては自慢の彼女でした。
ところがその夜、帰宅した私が2人のことを考えながら床につくと、突然、頭の中に映像が流れたのです。そこには今日会った友人の彼女が映っていましたが、仲良く腕を組んで歩く相手は見たこともない男性でした。そして、彼女は宝石屋の店先で足を止めると高価な時計を指差して、こうつぶやいたのです。

「これ、あいつに絶対買わせるから」

彼女は友人の名前を告げてこう言うと、相手の男性と顔を見合わせながら声を出して笑いました。人をバカにした実に嫌な笑顔でした。
私はすぐに彼女とは早く縁を切るようにと友人に話しました。その時、この映像のことは何も告げませんでしたが、友人は私の言葉に全く耳を傾けてくれません。それどころか私に対して、きれいな彼女ができた自分をひがんでいると罵倒したのです。さらに友達の彼女のことを悪く言うとは最低のヤツだとも言われました。結局このことで、私とその友人との付き合いは終わってしまいました。
それから1年ほど経ったころでしょうか。私は別の友人から彼がお金を借りに来たことを聞かされました。彼女の口車に乗せられて高価なプレゼントを買い続けているうちに、もうこれ以上、金融業者からはお金が借りられないほど借金が膨らんでしまったそうです。

他にも、車がパンクさせられることを教えて犯人に間違えられたり、汚職事件に巻き込まれる会社の就職をやめるように話して、親戚と仲たがいしたこともあります。つまり、本来は相手を助けるための言葉も、それを伝えるタイミングや相手の気持ちをよく考えないと、単に反発をまねいて感情的なしこりを残す結果にしかならないのです。私はそのことを多くの友人と引き換えに、ようやく学んだのです。

小学校ではこんなことがありました。5年生のとき、学校中の誰もが憧れているかわいい女の子と同じクラスになりました。2学期を前にした8月の寝苦しい夜、新学期から彼女の隣に座りたかった私は、早く席替えの結果を知りたくて、そのことばかりをずっと考えていました。すると、しばらくして頭の中に教室の情景が浮かび、目の前に黒板が大きく映し出されたのです。そこにはアミダくじが描かれて、くじの上には女子、下には男子の名前が横一列に並んでいます。私は自分の名前を中央のやや左寄りに発見しました。そして、ドキドキしながらアミダの線を追いかけたのです。すると線がたどり着いた黒板右端には、しっかりと彼女の名前が書かれてあったのです。
9月に入り、本当の席替えが始まりました。学級会では、席決めのためにアミダくじを行うことが決まりました。担任の先生が「レディーファースト」と言いながら、女子の名前を黒板の上部に書き始めます。お目当ての彼女の名前は、やはり黒板の右端に書かれました。私の名前も真ん中の少し左側にあります。癖のある読みにくい先生の書体や乱雑に書き加えられたアミダくじの横棒など、全てがあの夜の映像と同じでした。
いよいよ、くじ引きです。先生は右端の彼女の名前に真っ先にチョークを当てます。そして、アミダくじの傍線をなぞりながら、素早く右手を下ろしていきます。やがて男子の名前に先生の右手がたどり着く寸前で、一瞬行く先が消えました。教卓に置かれたチョークの箱が視線をさえぎったのです。私はすぐに立ち上がり、確信を持ってアミダの先を追いかけました。しかし、その先端は私の隣に書かれた別のクラスメイトへつながっていたのです。
幸運にも彼女の隣に座ることになったクラスメイトは、先生のお気に入りでした。先生は彼の両親が経営する飲食店へも度々出入りしていたのです。一方、私は先生の本音を日ごろからズバズバ言い当ててしまうため、とてもうとましく思われていました。あのとき先生は、アミダの傍線をなぞりながら、私の名前にたどり着く寸前で、そのままチョークを横に引いて線を一本書き加えたのです。このやり方なら、あとからアミダを確認しても不正は見つかりません。
このあと先生は、ガッツポーズをするクラスメイトに優しい視線を投げかけたあと、今思い出してもゾッとするような意地の悪い眼差しで私の様子をうかがったのです。その視線は「いつも生意気な口をききやがって、ざまあみろ!」と、まさに勝ち誇っていました。
ただ、この出来事は、結果としてとても大切なことを私に教えてくれました。それは、私の頭の中に展開する未来の映像は、人が作為的に手を下して違った現実へ変えることができるということです。つまり、先々で身に降りかかる災いや危険は、事前に予測して対処することで、いかようにも回避することができるのです。

私の名前はシュン、男性であることだけ付け加えておきます。

私のことを少しだけお話します。あまり多くを話せないのは、私のことが特定される心配があるからです。私は特殊な能力を持った自分のことが世間に知られることをとても恐れています。それは人間が、自分で理解のできない現実を突きつけられたとき、真っ先に恐怖を感じ、その現実を取り除こうとして敵対してくることを子供の頃から何度も経験してきたからです。

“怖い!気持ち悪い!縁起の悪いことを言うな!”

“人の不幸を言い当てて嬉しいのか”

そんな恐れと悪意に満ちた言葉を小さい頃からずっと浴びせられてきました。私はただ、自分の周りにいる大切な人たちに、不幸や危険が迫っていることを伝えて回避してもらいたかっただけなのです。そのとき私には、みんなが進もうとしている道の先に大きな落とし穴が待ち受けていることが、ハッキリと見えたからです。そしてその映像は、その人に降りかかる危険が大きければ大きいほど、より鮮明に私の頭の中で展開していたのです

私が初めて自分の能力に気が付いたのは、まだ小学校に入る前のこと。私はその夜、ふとんの中で、いつも一緒に遊んでいる大好きな女の子のことを考えていました。すると突然、何かに胸を圧迫されるような強烈な息苦しさに襲われたのです。私があまりの苦しさに思わず目を閉じると、いきなり頭の中に鮮明な映像が浮かび上がってきました。
彼女は幼稚園へ向う通いなれた道路を補助付きの自転車に乗ってニコニコしながらこちらへやってきます。しばらくすると大きな青いトラックが彼女の横を猛スピードで通り過ぎました。その瞬間、彼女の顔から表情が無くなり、驚きと恐怖で全身が固まりました。彼女がこいでいた自転車はトラックにはぶつからなかったものの、バランスを崩して歩道の脇の側溝に前輪から飛び込んだのです。彼女の左こめかみがコンクリートでできた側溝の角に激しく当たり、反動で頭が逆側へ大きく跳ね返りました。近くを歩いていた中年の女性が驚いて彼女に駆け寄ります。「大丈夫!しっかりして!誰かぁ!誰か来て!」中年の女性は血の気がうせて放心状態の彼女を慎重に抱えながら、反対の手で血が噴き出しているこめかみを押さえて叫んでいます。彼女の目は薄く見開かれたまま空を見つめ、体はピクリとも動きません。このとき私の頭の中には、まるでテレビドラマでも見るように、この様子がゆっくりと映し出されたのです。スピードを上げて走り去るトラックのエンジン音や助けを求める中年女性の甲高い叫び声までも、大きくこだましていました。
そして、この4日後に事故は現実のものとなりました。その日私は、自宅の庭からあの夜の映像と同じ洋服を着て自転車をこぐ彼女の姿を目撃したのです。ハッとした私は急いで家の中へ走り、ちょうどアイロンをかけていた母親に「○○ちゃん、危ないよ、自転車に乗っちゃダメだよ、早く止めて」と強く迫りました。母親は「そういうことは口に出して言っちゃだめ」と、必死で訴える私を取り合ってくれません。その日の夕食のとき、かかってきた一本の電話で事故を知った母親が、右手で受話器を持ったまま、無言で嫌悪感に満ちた嫌な視線を私に送っていたのを今でもよく覚えています。それはその後、何十人、何百人と見つめられた憎悪にも似た冷たい視線の最初の記憶だったのです。この時、事故を起こした彼女は幸い命に別状はありませんでしたが、顔の左半分に大きな傷跡が残ってしまいました。